水野裕矢選手引退

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私、水野裕矢は選手としての生活を2014年シーズンをもって引退することを決めました‼️
本当はもっともっと大好きなコラソンのメンバーとハンドボールがしたいし、皆さんからの歓声を浴びるプレーがしたいし、仲間と一緒の時間を共有したいですが、コラソンの為に必要なのは僕がコートに立ってプレーする事より、経営、運営をしっかりする事と思い、引退するのであればこのタイミングだと思いました。
その決断はホーム最終戦で日本リーグ史上最多となる3150名の観客が入り、今までのマニュアル運営がパンクしました。その上試合にも勝つ事が出来ず本当に情けなくなりました。
その後、最終戦前にチームがバラバラになった時、何かみんながもう一度同じ方向を向かせる方法がないかと思い「みんなにお願いがある、俺は今季で引退する事を決めたから、プレーオフにユニフォーム姿で立たせて欲しい」と言いました。
チームは崩壊寸前だったですが、みんなが「アニキをプレーオフに立たせて日本一になって胴上げしようと」一つになってくれました。
思えば4年前、前オーナーが突然チームを投げ出しコラソンが崩壊した時に、この仲間を守る為というだけで、山梨に戻るのを止めコラソンに残りガムシャラにやってきました。
それまでは、選手だけをしていた為、沖縄の右も左もわからないし、ましてや企業の方々なんてほとんど知りません。尚且つスポーツマネージメントなんてした事もありません。
今だから笑えるけど、全くスポンサー等が集まらず、毎日「きっと大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせて泣いている時もありました。
そんな僕ですが、行政の方々、ハンドボール協会の方々、YEGの方々、たくさんのスポンサー様、ファミリアの方々、大学や高校の方々、全国の友人のみんな、そしてずっと支えてくれた家族、一緒に7年間やってきた弟(裕紀)の存在があり、やっとここまで来ることが出来ました‼
沖縄に来て本当によかったと思います。
だってコラソンに来たから、今の瞬間、同じ勝利を喜んでくれている方々に会えたから!
僕のコラソン物語は、最初の選手生活を第1章としたら、ここでGM兼選手の第2章は終わりです。
来季以降の第3章として、沖縄の為に、ハンドボールをトップスポーツにする為に全力を注いでいくので見守ってください。今まで本当にありがとうございました。

《プレーオフの意気込み》
『スローガンである【NEXT ONE】に恥じないように次の試合で最高のコラソンが見せられるように頑張ってきます。応援よろしくお願い致します。』

◇ファミリアとの交流を誰よりも考えている裕矢選手
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No.7 水野裕矢(1980.7.9)
塩山ハンドボール→塩山中→駿台甲府高→明治大→甲府クラブ→HC東京を経て2008シーズンに加入
周りに気を配れる選手であり、2年目からチームのキャプテンとしてコラソンの土台を支える
チーム代表が退いた後は仲間の為に体を張り苦しい時期を耐え抜きチームをここまで持ってきた
愛称の「アニキ」の通り、誰からにも慕われ誰よりもチームのことを一番に考えている選手
コラソンの運営の責任者でもある
通算79得点(Ave.0.439 フィールドゴール)・19得点(7mTスロー)

選手としての引退はとても寂しいことではありますが、今後の活躍を期待しております。
今後の裕矢選手の応援をよろしくお願い致します。
初年度から今シーズンまでの7年間ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。