東長濱秀作選手引退

14-15シーズンを持ちまして選手を引退することになりました東長濱秀作です。
今までハンドボールを続けてこれた感謝の気持ちをもって引退の表明をさせていただきます。
ハンドボールと出会わせてくれた親父、どんな困難な時も支えてくれた母親に感謝しています。
小学校から競技を始め、約20年間続けてこれたことは、今まで周りで支えてくださった皆様おかげです。ありがとうございました。

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当山小→浦西中→興南高→日本体育大→湧永製薬 を経て2012シーズンに加入
トッププレーヤーとして数多くの実績を持ち、コラソンを強くするため沖縄の子供達のために移籍を決断し、今日に至るまでコラソンの精神的支柱としてチームを支えプレーオフ争いができるチームへと成長させてくれた選手です。
ハンドボールを熟知したIQを持ち、シュート力に加え、DFにおいても相手が嫌がるポジショニングをし、攻守において存在感を発揮してくれました。
時には、過剰な姿勢などで非難されることもありましたが、チームを勝利に導くため、メンバーを守るために身体を張って戦ってくれたチームにとって不可欠な選手でした。
今後の活動に関しては未定となっております。
下記に本日の記者会見の質疑応答に関して掲載しておりますのでご確認ください。

最後に、東長濱選手がコラソンの為に身を削ってくれたことに感謝と敬意を表し、また自分ではなく、仲間の為に体を張ってくれたトッププレーヤーに感謝を送ります。
ファミリアの皆様、今まで東長濱選手の応援ありがとうございました。
今後の彼の動向に見守りつつ新しいステージにいっても応援よろしくお願いします。
東長濱選手、長い間お疲れ様でした。

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【成績】
通算532得点(103得点は7mTスロー)
コラソンでの成績⇒通算143得点(Ave.0.430 フィールドゴール)・23得点(7mTスロー)
代表成績⇒60試合出場 通算133得点
2004年8月1日~5日 アルアラール大会(フル代表デビュー)

【受賞歴】
《湧永製薬 2006年~2012年在籍》

  • 07年 全日本実業団選手権大会  優勝
  • 08年 全日本実業団選手権大会  準優勝 ベスト7
  • 09年 全日本実業団選手権大会  3位   ベスト7
  • 09年 全日本総合選手権大会   2位
  • 09年 第34回日本ハンドボールリーグ ベスト7

《琉球コラソン 2012年~2015年在籍》

  • 12年 第37回日本ハンドボールリーグ 
    得点王(105得点)、ベスト7、通算400得点達成(2012.9.23)
  • 13年 第38回日本ハンドボールリーグ7mTスロー通算100得点達成(2014.2.16)
  • 14年 通算500得点達成(2014.11.9)

【記者会見Q&A】
Q:引退を考えた時期はいつ頃ですか?
A:シーズン始まってから葛藤はありました。
シーズン前からチームとしても個人としても結果が伴わなければ進退をかけると言い取り組んできており、チームはPOに進出し今までよりは前進しましたが、個人的には2年前に100得点とっていたのが今年は50点も取れなかったので自分なりのけじめとして引退を決意しました。

Q:怪我の影響が引退を決めた直接的な要因ですか?
A:パフォーマンスが上がらない一つの要因として怪我で練習に参加できなかったことはあります。
仕事しながらプレーをしないといけない環境だったので練習の時間をリハビリにあてるしかなかった。それでもチームに貢献しようと続けてきたので悔いはありません。

Q:3季振り返ってみてどうですか?
A:1シーズン目は環境になれるのに時間を費やしたし、チームメイトに対して大変だなと感じたシーズンでしたが、昨シーズンは逆にメンバーにPOに連れてってもらったし、メンバーには本当に感謝しています。

Q:日本代表を経験しトップで活躍してきましたが、現役生活での思い出や心残りはなんでしょうか?
A:思い出は、代表で言えばコラソンに帰ってくる前に世界のトップと戦えたこと、湧永、コラソンとプレーしてきてコラソンには強い思い入れがあって、県内のチームが日本のトップで活躍しているチームでプレーできたことに感謝している。怪我を抱えながらではあったが、今シーズントータルしていいプレーできたと思う。
心残りは、弟と一緒のユニフォームを着てプレーしたかったことですね。でも個人的な思いでコラソンでプレーすることはできなかったですね。

Q:大崎電気に所属している弟の秀希選手へかける言葉はありますか?
A:仕事をしながらハンドボールしていてトップでやっている以上、言い訳はきかないと思うし、本音で言えば沖縄の子供達のために帰ってきてコラソンでプレーしてほしいが、職業としてハンドボールをしている現状があるので本人のハンドボール人生を今後全うしてほしい思う。

Q:コラソンで3シーズン関わってきてチームを底上げできたことは何でしょうか?
A:選手は好不調の波というのはあるものですが、帰ってきた初年度は諦めではないがチームメイトに対してレベルを落としてプレーの説明などやらないといけない苦しさは正直ありました。ほんとはその時点でダメなんですが・・・。しかし3年かけてトップレベルになれたことは、自分が変えたのではなく、みんなが変わったからチームがこのレベルまで来たと思います。

Q:ファミリアの方へ何かメッセージなどありますか?
A:沖縄のハンドボールを盛り上げることが日本のハンドボールを変えると思うし、子供達の目標のために、コラソンが強くなるためにファミリアの皆様これから応援お願いします。

Q:コラソンへ来てご自身の成長はありましたか?
A:湧永にいたときは、整った環境があるなかで少しの環境の変化などで負けても逃げる道があったが、コラソンに来て言い分けの聞かない立場、環境の中で甘えが許されなかったので選手として強くなれたと思います。

Q:これからのコラソンに必要なものなどありますか?
A:勝負どこの空気を読むというか、勝負強くプレーすることだと思います。ここまでの7年間は勢いでこれたと思うけど、上位のチームになったことで相手からも意識されると思うし、勢い任せではなくプランをもって行動していくことが重要になってくると思います。

Q:代表で長い間活躍できた要因はどこにありますか?
A:沖縄の環境でプレーしていたことが代表でもやっていけた事だと思う。
日本のトップレベルで小学校から大学、実業団とプレーしてこれたのも大きい。社会人に進んでハンド続けようと思ったのは高校の時でその頃からオリンピックに出るのが夢から目標に変わった

Q:選手でなくなることの率直な感想をお聞かせください
A:引退する選手がいるのに自分だけ会見を開いてもらったこと、常に注目を浴びながら現役生活を全うできたのは自分の誇りだし、それを後輩たちに受け継いでいきたい

Q:ご自身の今後の方向性は現時点でどう考えていますか
A:現時点では全く白紙ですね。機会があればその時に考えたいと思っていますし。
選手としてはケジメをつけたので今後は指導者として頑張りたいという気持ちもありますし、ライセンスの取得も視野には入れていますが、まずは今までハンドボールと一緒に続けてきた仕事しっかりやることと家族とゆっくり過ごしたいという気持ちが強いです。

Q:コラソンに対する特別な愛着、不満の部分の葛藤があったと思いますが引退するにあたり消化できたのでしょうか?
A:コラソンというチームがほんとにプロのチームなら自分はまだ続けていたかもしれない。
続ける選択をするなら、仕事の時間をトレーニングやケアにあてないと無理だったので・・・
でもそれは帰って来る前からわかっていたことなどで悔いありません。

Q:コラソン(沖縄)帰ってきた一番のポイントを教えてください
A:自分が沖縄にいる頃には、コラソンはなかったし、沖縄にリーグのチームができることは当時は考えられなかった。でもコラソンができて、沖縄で対戦している時に、正直強いチームではなかったけど、子供達の目標となっているチームだとすごく感じていたし、自分が帰ってくることでこのチームを強くしたいという思いが一番のポイントですね。

ここから監督から東長濱選手へ
皆様、本日はありがとうございます。
本人がやめる決断をしたのは、何かあるんだろうなとは思っていた。
でも、コラソンで引退できたのは監督としても親としてもベストだったと思います。
どういう道に進むかは本人次第だと思いますし、本人にしっかり決めてもらって、その後は応援していこうと思っています。

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Q:選手としてどうでしたか?
A:戻ってきてくれたことで他の選手の励みなったし、3年間で結果が上がっていったのは本人の力が大きかったと思います。一番大きいのは戦術より気持ち面ですね。
他のメンバーもトップと戦っていくだけの力や技術はあるが、メンタル面や代表を経験したことがないというところ秀作が帰ってきてくれたことでその部分(特にメンタル)も強くなったと思います。

Q:秀作選手にかけたいことばはありますか?
A:20年間ハンドボールと携わってきていい夢もみてきたはずだし、辛いこともあったと思うがこれをバネにしてこれから子供達に夢を与えられる指導者を目指して頑張ってほしいと思う。